韓国MMORPG
朝から、なぜ韓国でMMORPGがこれほど作られているのか、とかいうお話を書いていたら、ほぼこちらにそのまんま書いてありましたw
くたびれもうけでしたが、くやちいので、やっぱ年表だけアップw
<追記>やっぱぜんぶアップw
大変偏ったMMORPG関係年表
解説
1982
TCP/IP確立。IBM「PC/XT」発表。
1983
7
(JP)任天堂「ファミリーコンピューター」(ファミコン)を発売
1986
5
(JP)エニックス「ドラゴンクエスト」発売
1987
(JP)ニフティ「ニフティサーブ」サービス開始
1990
(US)IP接続できるプロバイダーサービス開始
1990
2
(JP)富士通"ビジュアルチャットシステム"「Habitat」開始。当初はFMタウンズ専用。仮想世界のアバターで話すチャットシステム。
1992
(JP)日本でプロバイダーサービスが開始される
1993
InterNIC開設。この時点、日本では「パソコン通信」が主流。
1994
(US)カタパルト「XBAND」発売。SNES、ジェネシス用ネット対戦ユニット。日本でも展開されるが不発に終わる。
1996
5
(JP)バンダイ モデム内蔵のゲーム機「ピピン@アットマーク」発売。初のインターネット接続可能なゲーム機だが黒歴史に。(専門サイトでもドリームキャストを最初としていることが多い;;)
1996
9
(JP)オークスヘブン「Exllusion」サービス開始。PC98(NECのw)、DOSベースで動作する日本初のネットRPG(らしい)。98年サービス終了。し、しらないw その他、草の根BBSで、テキストベースのRPG(のようなもの)はよく行われていた(そうだ)。
1996
11
(JP)SEGA ゲーム機「メガドライブ」専用のモデム、「メガモデム」発売。ただし、対応ゲームソフトによるメガドライブ同士(P2Pといっていいのかな?w)の対戦と、「ゲーム図書館」によるゲーム配信のみで、ネット接続機能はなかった。黒歴史。
1996
末
(US)ブリザードエンターテインメント「Diablo」発売
1997
アジア通貨危機 韓国IMF監視下に。国民は大きなショックを受けた。
1997
9
(US)EA「Ultima Online」発売。世界初のMMORPG。(この時点での世界のインターネット接続PC数は全部で2〜3000万台程度)
1997
10
(JP)EA「Ultima Online」発売。1ヶ月でJPリリースだが、ローカライズされていたかは不明。
1998
9
(JP)EA「Ultima Online」JPサーバーサービス開始
1998
9
(KR)NCSOFT「リネージュ」サービス開始
1998
11
(JP)SEGA インターネット接続機能を持ったゲーム機「ドリームキャスト」発売
2000
12
(JP)SEGA「ファンタシースターオンライン」(ドリームキャスト版)発売。日本初の本格的ネットRPG(コンシューマ機としては世界初)。オフラインでも遊べるディアブロタイプのMO。
2001
7
(JP)SCE「プレイステーション2」用のインターネット接続ユニットをネットのみで発売。なぜか当初は「ハードディスクドライブユニット」と呼んでいた。
2001
11
(KR)GRAVITY「Ragnarok Online」ベータテスト開始
2001
11
(JP)ガンホー「Ragnarok Online」ベータテスト開始(β1、これより以前にアルファ版によるテストが行われており、その時点から話題となっていた。)
2002
2
(JP)NCJ「リネージュ」サービス開始
2002
5
(JP)スクエア「Final Fantasy XI」発売 サービス開始(最初はPS2のみ)
2002
6
(JP)「Ragnarok Online」でBOTが現れる
2002
8
(KR)GRAVITY「Ragnarok Online」サービス開始
2002
12
(JP)ガンホー「Ragnarok Online」サービス開始
2003
7
(KR)NCSOFT「リネージュ2」オープンベータテスト開始
2003
10
(KR)NCSOFT「リネージュ2」サービス開始
2003
10
(JP)NCJ「リネージュ2」クローズドベータテスト開始(YahooBB先行)
2004
2
(JP)NCJ「リネージュ2」オープンベータテスト開始(スターターパッケージはEAより発売)
2004
6
(JP)NCJ「リネージュ2」サービス開始
コンシューマのオフラインゲームが100万本以上売れていた日本では、PCのオンラインゲームが流行するわけもなく、メーカーのネットゲームへの取り組みは、ゲーム専用機をプラットフォームにすると言う足かせで、大きく発達が遅れたことが分かります。というか、そこに行く必然性が存在しなかったんですね。ピピンは明らかに時期尚早でしたが(;;)ドリームキャストも、PSOやぐるぐる温泉はむちゃくちゃ楽しかったのにもかかわらず、PS2の牙城を崩すには至らず、SEGAはゲーム機開発から撤退してしまいます。PS2BBが当初「ハードディスクドライブユニット」と発表されるなど、日本のゲーム業界では「ネットはだめかも?」という認識があったように思われます。
一方の韓国ですが、日本製品輸入禁止という法律が存在したため、世界中が日本製ゲーム機に熱狂しているなか、(少なくとも自由圏では)ただひとり蚊帳の外に置かれます。もちろん、知らなかった、とか、全くやっていなかった、なんてことはあるわけもなく、1988年のソウルオリンピックまで著作権保護を目的とするヴェルヌ条約に加盟していなかった韓国ですから、闇では相当流れていた物と思われます。(いまでもクローンマシーンが山のように売っていました。)とはいえ、ゲームはしたいけど、(表向き)ゲーム機はないと言う状況が続いていたわけです。
そこで、日本ではあまり(某特殊ゲームをのぞき)ユーザーがいなかったPCゲームがある程度の素地を築いていたものと思われます。
そして通貨危機。
我が国は “産業化は遅れたが情報化は先に進もう”はモットーの下 IT 革命の波に賢く対処した結果, 常用サービスを始めた。
韓国インターネット博物館http://www.i-museum.or.kr/main.htmより
通貨危機自体は韓国の責任だった訳ではないのですが、それによって露呈した産業の脆弱さ、IMF監視下に置かれ、政策に介入されると言う事態は、日本人が思う以上に韓国人には(あの韓国人が、「産業は遅れた」って認めてしまうほどの)大ショックだったようで、おおあわてで国主導の「新しい主幹産業」の模索がなされていきます。そのひとつがネットワーク産業だったわけです。ITって韓国でも使われている言葉だったんですねw(ネット産業以外にも、アニメーションなども国の補助を受け、人材の育成等が行われています。)これにより、韓国国内にはブロードバンドなどのインフラが急速に整備され、接続されているPC台数も爆発的に伸びていきます。PCが、ファミコンに代わるゲームプラットフォームとなる基礎がここで構築されたとも言っていいと思いますw
リネージュのリリースはUO発売後1年ちょっとという、非常に早い時期で、あの規模のMMORPG開発としては異常に早いことから、これも半ば国策として大量の開発費が投入されたことは想像に難くありません。間接的に国の後押しを受けながら、乱立するネットカフェで、のろいから解き放たれたかのように国産、米国製ネットゲームに夢中になる韓国の若者たち・・・。しかし、ここで一人の男が(ここから妄想)ふとこんなことを思います。「ディアブロもリネージュもおもしろいけど、これを聖剣伝説のキャラでやれたらもっと楽しいのに・・・」
こうして生まれたのが、ラグナロクオンラインでした(じゃないかなぁw)。最初は同人ゲームもどきだったものが、爆発的な支持を受け、様々なバグを内包したまま大ヒットとなり、ログインサーバーは死んだままとなりました。
ディアブロにしろ、UOにしろ、ゲームとしての出来がどんなによかろうと、コンシューマ機でのかわいらしいキャラクターと「ドラクエツアー」などと揶揄されたぬるいゲーム性に慣らされた日本人にとってもなかなか入り込めない壁があり、その突破口となったのがやはりROであったように思います。PCでゲームをするのに抵抗の無かった某特殊ゲームユーザーと同人作家たちが呼び水となり、ROは日本でもヒットし、「ネットゲーム」という商売が日本で成立しうることを知らしめました。(のかなぁ?w)
ROは同時に様々な害悪を垂れ流すわけですが、「ゲームは完成していなくても客はつく」とか「サポートがどんなにめちゃくちゃでも一度ついた客は離れない」などというネットゲーム運営における指針を提供した・・・なんて話は、またこんどw
このへんのメンタリティの差というのは、なぜかあまり言及されませんが、実は結構深い溝で、ウルティマはドラクエとして翻訳されないと日本ではヒットしなかったし、逆にドラクエは当初欧米ではさっぱり売れませんでした。日本というか、その(オタク文化的)影響下にあるアジアと、欧米における「よいゲーム」の価値観は180度と言っていいほど違うのですが、ネットワークゲームのサンプルが欧米製しかなかったことで、その辺を考慮せず、「ネットゲームはだめじゃないか」という誤った(?)認識の下、日本のゲームメーカーが出遅れてしまったのは、残念と言えば残念です。(残念と言えば、このギャップのせいで愛してやまなかった私のウーキーは、荒れ地でサーベイしながら座り込んだまま消失の憂き目にあったことのほうが、個人的にはもっと残念ですが;;)
そして、この隙間をついた韓国ゲーム業界は一大成長を遂げる結果となったわけです。
もっとも、動いてるお金はコンシューマ最盛期の日本に比べればカスみたいな物なので、日本のゲーム業界はあまり気にしていないのかも・・・。PCを凌駕する性能を持つPS3がどこまでいけるか、「どうぶつの森」という優秀なネットゲームコンテンツを有しながら、ゲームのネット配信というゲーム図書館への先祖返りを売りとするレボリューションこと、Wiiがどうなるのか、というか、いったい日本のゲーム業界はどこに行くのか?、なんてことがとても気になります。どうでもいいのかもしれませんが・・・。
話がそれましたが、リネージュ2は、リネージュのアジアでの大成功、そしてROをもふまえて作成された超大作です。当然のようにアジア圏では大ヒットし、北米では今ひとつでした。もちろん、EQ2などライバルに比べれば、まったくといっていいほどゲームとしてはクソですし、運営も含めて、メーカーのメンタリティも成熟しているとは言い難いです。ですが、今のところ代替作が存在しません。韓国メーカーがさらなる進化を遂げ、このままシステム的にもすばらしいMMORPGを作ってくれるか、欧米メーカーが本格的なアジア向けローカライズに挑んでくれるかしないと「このなんとなくいい感じ」は達成できない・・・というか日本は??本当ならこのあたりの「ちょうどいい感じ」は立地的にも経験的にも日本でしか作れない思われるのですが。ユーザーに楽しい冒険を提供出来ないで、メーカーやクリエイターが迷宮に陥ってる場合ではないと思いますw